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月刊「BASSER」連載

「そして、今日も僕はキャストする。」 第5話

BASSER 7月号より



注1
 1975年に発売された「Made in U.S.A.」というカタログ雑誌によって、若者たちのアメリカ志向が一気に高まっていった。今でこそ当たり前のように流通しているレッドウィングやノースフェース、エディーバウワーなどの商品がページからあふれるほどに紹介され、彼らのライフスタイルに大きな影響を与えた。
「バスフィッシングは大人の遊び」。
昔よく使われたフレーズだが、我々は特別に大人を意識していたわけでもない。むしろ子供のようにはしゃぎながらバス釣りに没頭していたと言えるだろう。

当時、釣りと言えば「ダサイ」とか「生臭い」とかのイメージが強かったし、友人との会話の中でも、

“彼女とのデート中は「趣味は釣り」だとか魚釣りの話はしないほうがいいぞ、フラれちゃうからな!”

とマジに話してたりした。

今はあまり見かけないが、昔はサオケースを肩から掛けてクーラーを下げた姿を電車の中でよく見たものである。
彼らは垢抜けない釣りのジャケットを着ていたし(そんな物しかなかったのだが!)、たいがいは黒のゴム長靴を履いていた。たしかに隣にいるとエサの匂いやら魚の匂いで臭い人もいた。

そんなイメージの釣りの世界にルアーフィッシングというエサを使わない欧米の釣りが入って来た。
折りしも高度経済成長のおかげで経済的にも多少の余裕が出てきて、マスコミも新しいライフスタイルや余暇の過ごし方を盛んに提唱しだし、アウトドアブームが広がり出した頃で、アメリカやヨーロッパから色々なウエアや用品が手に入るようになっていた(注1)。

こんなタイミングで、バスフィッシングが広がりを見せてきたものだから、この機会に“ルアーフィッシングは垢抜けした「格好いい釣り」であることをアピールしてイメージチェンジを図りたい。そうすれば彼女にも堂々と言えるようになるかも”なんて思ったりしていた。

当時スミスで仕入れを担当していた私は、ロッドやルアーだけではなく、自分たちが普段釣っているスタイルや考えを積極的に紹介していこうと考えていた。それは、私がまだスミスに入社する前の、ショップにいた時の経験から強く意識しだしていたことだった。

デパートの中にテナントとして出店していた釣具店に勤務していた私は、流行り始めていたルアーを販売しながら、自身もバスフィッシングにのめり込んでいた。

あるとき、なぜ釣りのウエアはかっこ悪いのだろう?
あれじゃ僕らは買わないよな〜!と、自分の普段釣りに行く格好を思い浮かべて見た。

「ジーパンにフランネルシャツだよな〜。これを釣具売り場で売ったっていいよな〜。売ってみよう!」

早速、会社から予算をもらってジーパンメーカー「EDWIN」に出向き取引を依頼した。最初は「ジーパンは若者のシンボルだし、関係のない場所で販売するのは・・・」と難色を示していたが、少量ならと売ってもらえることになり、ハンガー1本でジーパンとフランネルシャツの販売を開始した。

釣具売り場でジーパンなんて売れないよ!と言われたが、これが思った以上に好評で毎週オーダーを出す勢いであった。
売れるサイズもウエスト80cm以上が多く、買っていく年齢層が高かった。

「ジーパンはほしいと思っても、なかなか専門の売り場へは入りにくかったんだよな〜。よかったよ!」

と、多くのお客さんから感謝された。視点を変えてみたり、プレゼンテーションの方法によっては、いろいろな世界が開けるなと、このとき強く感じたものだった。

注2
「Peter Storm」。イギリスのヨット用品メーカーで、透湿性能を持つ雨具や、洗濯可能な撥水ウールセーターなどで人気を博した。


注3
「AIGLE」。1853年フランスで誕生したブーツメーカー。上質なラバーブーツで名声を得、現在ではフットギア、バッグ、衣料品まで幅広くカバーしている。


そんな経験があったから、スミスでも自分達がほしいものはどんどん取り扱っていった。釣りの必需品である雨具は、ダークカラーのビニール製では蒸れるし格好悪いからと、ヨットマーケットで販売されていたイギリス製のカラフルな色の「ピーターストーム(注2)」を、黒の長靴なんて履けないし、ボートの上では滑るからと、フランス製の滑らないソールのお洒落な「エイグル(注3)」のブーツとデッキシューズを、撥水性に優れたウールソックスやグローブ、寒いときはダウンジャケットやベストが軽くて絶対にいいからとアメリカのアウトドアメーカーの物を、バックはキャンバス地のイギリス製、夏は暑いからポップなTシャツを作ろう、一緒にキャップも、コーヒー飲むならマグカップも、ナイフの一つも入れておきたいから米国のホールディングナイフを・・・・・。てな具合で揃えていった。

とにかく、頭のてっぺんから足先まで自分たちが気に入ったよい物を、そして実際に使っていた物を紹介していった。

こんな出で立ちで当時まだなじみの薄かったエレクトリックモーターを取り付け、ディレクターズチェアに座って颯爽とルアーをキャストしていたのだから、ほかの釣りをする人たちからは特異な存在に映っていたのだろうし、若い人たちにはそれが「カッコイイ」のだっただろう。
そして、ルアーフィッシングは新しい釣りのライフスタイルとして雑誌に取り上げられることも多くなって行った。

だけど、実はこの時代、バス釣りは若年層が中心だったのだ。
スミスが1982年にタックルボックスを買っていただいたユーザーを対象に行った動向調査の年齢構成比率を見ると、11歳〜15歳が58%、16歳〜20歳が20%、なんと20歳以下で全体の8割弱を占めていて、当時の私の年代層31歳〜40歳は5%しかいなかった。

だからバス釣りは子供の遊びと捉えられがちだった。

しかし、彼らにとって我々のスタイルは魚釣りを超えた新しい大人の遊びとして、一種の憧れとなっていたようだ。

今もときどき
「あのころはまだ学生だったから買えなかったけど、早く大人になって、あんな釣りがしてみたいと思っていましたよ」
と言われることがある。

そんな彼らが今、当時の我々と同じ年代になっている。
バス釣りの世界はその後、トーナメントの隆盛によって大きく様変わりし、そして今、外来生物法の制定によって新たな局面を迎えているようにも思える。また若年層のバス釣り人口が減っているのも大きな問題だ。

バス釣りをやめてほかの釣りに移ってしまう釣り人の多いなか、まだバスを追いかけてくれている彼らが、「人と競う事よりもバスと遊ぶことを楽しむ」、そんなバス釣りの世界を辛抱強く引っ張って行って欲しいな〜、と最近思っているのである。

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