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バックステージ オブ サーフェス
前回、Surface11号で、1970年代の日本のバスフィッシングシーンについてご紹介しましたが、その中で羽鳥靜夫さんのロッド作り、その背景をもっと詳しく知りたいと改めて羽鳥さんに伺がった後編をお話します。
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初代FGOシリーズは、この羽鳥さんが造ったロッドのレプリカだった。
― ハトリーズスティック 誕生秘話 その2 ―
日本のトップウォーターフィッシングをリードしてきた 名ロッドの背景と真実
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<ブランク内側に渓流竿を差し込み理想のアクションを実現>
ロッド作りには、ヘラブナ釣りなど繊細な世界での羽鳥さんの経験も活かされていた。
「僕の後、同じようなことをしようと思ってた人は何人かいたんですけど、みんな失敗しちゃったのね。それはブランクを切るとき、竿先を詰めてたわけ。
フライロッドって柔らかい印象があるじゃないですか。だから硬くしようと思って先を切っちゃうんだよね。竿ってそういうふう(竿先で調子を出すよう)に設計するじゃない?
ヘラ竿だってほんの少し先を切っただけでもうダメでしょ」
ハトリーズスティックが、ワン&ハーフと呼ばれる根元が短いデザインになっているのはこのためなのだ。ちなみに、玉越さんも同じ失敗をした経験があると笑う。
「僕も羽鳥さんの真似をして作ろうと思って、やっぱり先を切っちゃったんですよ。ちょっと柔らかいかな・・・って。そうしたら羽鳥さんに“それじゃダメなんだよ”って言われたもんね」
フィリプソンのブランクをベースにしたのは偶然の出会いだった。
「はじめは、フライロッドの完成品をカットして使ってました。ABUの竿を切って作った翌年あたりじゃなかったかと思うんだけど、蕨の佐々野釣具店にフライのブランクを探しに行った時、たまたまあったのがフィリプソンでね。3本ほど残ってたのを全部買ってきちゃいました。
あの頃のフィリプソンはカラーが3種類か4種類あって。赤い紅殻色と肌色。インディアンイエローっていうのかな・・・黄色っぽいのもあった」
フライのブランクは使用するラインのナンバーに合わせた設計が施されている。フライラインは番手が大きくなるほど太く、重くなり、大きなフライを投げられるようになる。ロッドもそれに合わせて強くなるわけだ。
「僕のプラグには7〜8番のフライロッドがちょうどよかったんだよね。フィリプソンのブランクっていうのは、硬いのも柔らかいのも調子が全部一緒。8.5ftくらいのを7ftにカットして使ったんだけど、そのうち7が振れなくなっちゃったんで、6ft半にして使うようにしたんです。
僕はね、はじめから、短くても6ft半っていう一応のイメージがあったわけ。でも、できれば7ft半を使いたかった。
なぜかっていうとね、距離をたくさん稼げれば、魚もたくさん出るんじゃないかな・・・って思ったわけですよ」
しかし、羽鳥さんはブランクをカットするだけでは満足できなかった。ブランクはあくまでベースであり、それに手を加えて理想のアクションを生み出そうとしていたのである。
「長さを合わせて(バットのほうを)切ったら、ブランクの中にカットした渓流竿を入れて調子や硬さを調整したんです。
なぜ渓流竿かっていうと、薄かったから調子を出すのに便利だったからね。もっと硬くしたいと思ったらもう1枚入れてやればいいわけだから。
自分が本当に好きな調子にするには、細いリングのようにしたものを竹の節みたいにいくつも入れればよかったんだけど、作るのがちょっと大変なのと、先重りしちゃうんですよ。だから1本だけ(笑)。
ほかのロッドは少し長めの筒のようなのをバットのほうに入れたんです」
デビューしたハトリーズスティックは、当初その真価を理解されなかったという。
「これが発売されたときに最初は評判が悪かったんです。(買った人が)扱えなかったのね。あんなアクションのロッドは当時1本もなかったから。
なんの雑誌だったか忘れたけど、座談会をやってて3人くらいでこの竿の話をしているわけ。
“今度のスミスのロッドはチヌ竿みたいだ・・・” なんて言ってたんです」
「重い、投げにくい・・・そんな声もありましたね」
と玉越さん。鳥居さんはその背景に当時のトップウォーター事情を指摘する。
「あの頃は5/8ozの重いプラグが主流だったじゃないですか。ヘドンとかね。それを使うようなロッドが人気でしたからね」
しかし、この1本がその後日本のトップウォーターロッドの基準となっていったのはご存じのとおり。伝説の名ロッドとして今もなお語り継がれている。
時代が流れても変わらないもの・・・普遍であるべき要素・・・。
永遠のスタンダードとはこのロッドのためにある言葉かもしれない。
完
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